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第28回デザイン基礎学セミナー『教育のリ・デザイン〜子どもたちのいる風景を社会に開く』報告

レビュー
今回講演していただいた酒井咲帆さんは「コミュニケーション」の人だと思う。写真家としてスタートした彼女は、写真を撮影することを通して、子どもたちとのコミュニケーションを始めた。一見なんの繋がりもないように見える写真家としての活動と、保育園の創設、地域社会へ場を開いていく活動、子どもの権利を実現するための取り組みは、「コミュニケーション」という機能により繋がるように思う。

日本でのコミュニケーション方法は特異だ。こと教育現場ではヒエラルキーが存在し、コミュニケーション自体難しいように感じる。子どもは大人のルールに従い、教育されていく対象として見られている。そのような構図自体を、コミュニケーションを通して解体していっているのが酒井さんではないだろうか。

彼女のコミュニケーション方法は独特だ。彼女自身がスポンジのように他者の意見を吸収しながら、他者は彼女の意見も同時に聞いているような不思議な感覚を与えられる。そのようなコミュニケーション方法を彼女は写真家としての活動から身につけていったように思う。専門学校生だった10代終わりの頃から富山の子ども達と定期的に交流し10年に渡って撮影し続けた写真集および写真展『いつかいた場所』、アフガニスタンの紛争地帯の子ども達が使い切りカメラで撮影した写真での展覧会、大阪の保育園の子どもたちとの交流プロジェクト「つちのかみさま、たびにでた」、改修前の福岡市美術館学芸課にあった作品として価値のあるものからゴミまでを扱った「モノにきく」展。彼女は、このような写真を撮り・提示するという行為を通して、物事を「そのまま見る」ことの難しさと素晴らしさを、身をもって体験している。そこから、他者の見方をそのまま受け取り、その上でコミュニケーションを行い、関係性を作ることの重要性を、感覚的に身につけているように感じる。

このような経験が、彼女が創設した保育園での子ども達の活動、古小烏公園の整備、子どもの権利についての活動につながっているように思う。子どもは守られるべき存在であり、教えられる存在であると考えてしまいがちである。しかし、彼女の活動では、子どもと大人の間の関係性がフラットで、子ども自身が言葉だけでなく態度や表情などあらゆる手段で自分の思いを表し、それがそのまま受け止められる土壌が作られていっている。

教育のリ・デザインと言うと、子どもをどう教育するのかという方向に考えてしまいがちだ。しかし、実際問題はすでに教育が終わっていると考えられている大人の問題であると、本講演から再確信した。コミュニケーションをとり、意見交換を行い、何かを共に造り上げて行く(あるいは造り上げていかない)というプロセスをただただ繰り返して行くことが重要なのではないだろうか。その中で、彼女のようなコミュニケーション方法を大人が身につけることが、教育のリ・デザインの近道のような気がする。目に見える何かではなく、じわじわと浸透していくような、そんなほんの少しの大人側の変化が、今後の教育のリ・デザインに繋がって行くのだと思う。

(結城円)

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